共感

 

私の2週間前の鬱はなんだったのかというくらい今は気分が軽くなった。

 

今週は飲み会が2回もあって楽しかったからかな、ご時世がご時世なので飲み会とかも避けてたし、こっちに来てから居酒屋に行ったことも1,2回くらいしかなかったけど久しぶりにたくさんお酒を飲んでたくさんしゃべってすごーく楽しかった。

ずっとステイホームで、暇だなとは毎日思っていたけど外に気軽に遊びに行けないことが自分の中でかなりストレスになっていたんだなあと気がつけた。

 

「ストレス発散方法は?」と聞かれて今までぱっと思いつかなかったけど、定期的に飲みに行ったり、仲のいい友達に対面で話を聞いてもらったりすることでうまくストレスをためずに生活してたから自分のストレス発散方法に気がつかなかったらしい。

地元から離れても友達とは電話してたし、会社でそこそこ人と話すことはあったけどやっぱり対面は違うなあ。私のストレス発散は私に共感してくれる、興味を持って話を聞いてくれる人がいてこそだったんだなあ、と気がついた。

 

私の人生には共感してくれる人間が必要なんだ。「女は共感脳、男は解決脳」とか訳の分からんことを言う人がいるらしいけど、男も女もそれ以外も性別なんて関係なく理解してくれる人が必要なのは、ほとんどの人に共通することなんだなと個人的に思う。

 

だからこそ、孤立してるとか、考え方が合わないとかで仕事を辞める人がいるのはおかしいことではないと思う。

友達が今臨時職員として働いている職場では、その友達以外の全員は結託していて、その子だけが仲間外れ、のような状態になっているらしい。本人は「3月までがんばって辞める」と言っていたがくれぐれも頑張りすぎないでほしい。

 

世の中、「耐える」人多すぎない?やむを得ない事情があって辞められない人ももちろんたくさんいると思うけど、耐える人は大体かなりの頑張り屋さんで、ストレス発散が下手な人が多い気がする。件の私の友達も、普段は明るくてふざけてばっかりいて、大学は浪人するわ、いつもニコニコしてるわで辛そうなところをあまり見せない人だけど、ストレス発散方法が下手で知らず知らずのうちに疲れてしまうようだ。インスタの親しい人向けの投稿で弱みを見せてくれたから、お節介かもしれないが私が声をかけることができて事情も聞くことができたけど、なかなか会えない今、どうやったら彼女の力になれるのかわからない。話していて「仕事の向き、不向きを考える前に自分の考え方を見直したりストレス発散方法について考えた方がいいかもしれないね」という結論に至ったけど、自分で言っておいて自分にも刺さった。私はストレスがたまったらすぐ酒を飲みながら友達に悪口を聞いてもらうのであまりストレスを溜めすぎることがないけど、頑張りすぎる人はどうやったら生きやすくなるんだろう?

 

ストレス発散について考えた時、「カラオケ」「掃除」「運動」とかの名詞が頭に浮かんだけど、なんとなく、腑に落ちない。やっぱり1番のストレス発散の方法は「共感を得ること」ではないかな、と思う。みんなと私は違うけど、少なくとも私がストレス発散方法にしてきた「酒を飲みながら悪口を言う」は、その行為自体がストレス発散になるわけじゃなくて、そこにいてくれる友人が私の話を聞いて共感してくれたから、だと思う。酒は共感のバーターである。

 

なんとなく今日1日このことについて考えていて、改めて私はいつも仲良くしてくれてる友達に感謝しなくちゃいけないなと思ったし、友達にもどうか頑張りすぎず、私に話せる話だったらガンガン話して共感を求めて欲しいな、と思う。

 

そして頑張りすぎる友達へ、「これしか仕事を続けてないから頑張ってない」とか、「人と合わないからやめるのはおかしい」とか、そういう風に思わないで欲しい。これに関してはネガティブな私に向けても言いたい。絶対見てくれてる人がいるし、共感してくれる人がいるから。

 

最近ずっと仕事のことで悩み続けてきた私と、事情を話してくれた友達が何となく似てる気がして、私が偉そうにいえる話でもないけどぼーっと考えてしまった。